NUMBERS

数字で見る隅田冷凍工業

隅田冷凍工業ってどんな会社?

言葉では説明できない会社のあれこれ、
分かりやすい「数字」のデータにまとめてご紹介します!

1. Company

直近10年間の売上推移

22億18億14億10億
13.7
69期
14.5
70期
14.9
71期
15.0
72期
15.0
73期
14.6
74期
16.9
75期
19.2
76期
20.7
77期
21.4
78期

拠点別の総庫腹能力内訳

TOTAL 76,200
京浜島事業所 8,000㌧(約10%)
東扇島事業所 37,000㌧(約49%)
川崎事業所 31,200㌧(約41%)
💡 アイスクリームに換算すると?
総容量(ミリリットル換算)
約762億ml
1人前(200ml)だと…
約3億8,100万人分!

実は、当社が日々お預かりして日本の食卓へ届けている「大人気のアイスクリーム」に換算すると、なんと日本国民全員がひとり3個ずつ食べられる超特大スケール!みんなの毎日の「美味しい!」は、この圧倒的なキャパシティが裏で支えています。

※食品の比重を1(1g=1ml)として親しみやすく計算しています。

信頼を積み重ねた歴史

78年!

-25℃で守る、食のインフラ

-25℃の世界

2. Employee

男女比

男性社員
56
女性社員
15

社員の年齢構成比率

GENERATION 20~70 幅広い活躍!
20代・30代26%
40代23%
50代30%
60代以上21%

3. Work Style

年間休日日数

120

有給休暇取得日数年間実績

16.5

平均残業時間

14.5時間

育児休業取得率

100

沿革

1948年の創業以来、冷凍物流の発展と共に歩んできた隅田冷凍工業の歴史をご紹介いたします。

1948(昭和23年)

江東区深川にて創業(製氷事業の開始)

東京都江東区深川三好町において製氷工場の着工を完了し、隅田冷凍工業としての第一歩を踏み出しました。

当社の設立動機は医療用の氷を作る工場を作ってほしいという東京都医師会からの要請に応えるためでした。

当時製氷工場は空襲で破壊され、病院で使われる氷が東京ですら不足していました。当社のお客様のニーズに応えるという姿勢は設立時にその原点があります。

初代社長は後の東京計器製作所の会長・社長であった橋井 真氏です。後に日本銀行政策委員会の委員を歴任するなど、経済・金融政策の現場で長く影響力を持ちました。

1966(昭和41年)

雪印乳業株式会社様との取引開始、冷蔵倉庫業への本格進出

高橋第2冷蔵庫の稼働に伴い、雪印乳業株式会社(現:雪印メグミルク株式会社)様との重要なパートナーシップがスタートいたしました。これが、現在のコア事業である「食の流通を支える冷蔵倉庫業務」の強固な土台となりました。

1968(昭和43年)

冷蔵倉庫業への完全事業転換という決断

家庭用冷蔵庫の普及といった時代の変化と市場の変革を先回りし、製氷事業から「冷蔵倉庫業」への完全なシフトを敢行いたしました。この時代の変化に柔軟適応する経営姿勢が、長きにわたる安定成長の原動力となっています。

1973〜(昭和48年〜)

川崎・京浜島への拠点開設と、外国貨物取扱の開始

1973年に川崎事業所、1980年には大田区京浜島に大型冷蔵倉庫を開設し、首都圏物流の要所へとネットワークを拡大いたしました。1981年には植物検疫・動物検疫の指定を受け、輸入外国貨物の本格的な受け入れ体制を確立いたしました。

1996(平成8年)

社内報「Sumida Now」の発刊

社内コミュニケーションの活性化と組織の結束力を高めるため、社内報「Sumida Now」を創刊いたしました。異なる事業所で働く社員同士のつながりと、人を大切にする企業文化を象徴する取り組みとして、現在まで脈々と受け継がれています。

2010(平成22年)

川崎第2冷蔵倉庫完成、大手コンビニ物流の基盤構築

川崎第2冷蔵倉庫が竣工し、日本最大規模の流通を誇る大手コンビニエンスストア様向けの高機能物流拠点が完成いたしました。これにより、人々の日常を支える「生活インフラ企業」としての社会的責任と信頼をより確固たるものといたしました。

2022(令和4年)

東扇島事業所に「次世代型自動倉庫」を新設

東扇島事業所にて3万7,000トンの収容能力を持つ最新鋭の自動倉庫が稼働を開始いたしました。最先端マテハン機器の導入による効率化のみならず、現場スタッフの労働環境を劇的に改善する「次世代のホワイトな物流」へのマイルストーンとなりました。